わたしは歌詞を聞いていない#Advent_10songs


歌詞を基本的に聞いてないイチ音楽好きベスト歌詞10選の序章です。
 音楽が好きだ。(         )、歌の歌詞を聞いていない。

 この丸括弧の中にどんな言葉を入れるのが適切なのかは分からない。
 ともあれ、私は音楽が好きだ。この「音楽」という枠のサイズや形状は各人によって異なっていて、「本」という言葉と似たところがある。私が聴く音楽の枠はたぶん、きっと、そこそこデカくて柔軟である。なぜか。答えは単純で、長らく歌詞のない音楽に親しんできたからだ。

 3歳から18歳までの約15年間、エレクトーンという鍵盤楽器を習っていた。知らない人は画像を検索してほしいが、ここでも説明しておく。鍵盤は上下二段に分かれており、それらの左右の端が若干ずれている。両手を使ってこれを弾く。
 足元にも2オクターブ分くらいの鍵盤が並んでいる。これを左足と、たまに右足も使って踏む。右足は基本的に車のアクセルみたいなペダルに載せておいて、音量を調節したり、左右についている小さい部品を蹴って音色を変えたりする。
 そういう代物だ。日本が誇る楽器メーカー・ヤマハの電子オルガン製品である。

 エレクトーンのレッスンで習う楽曲はとにかく幅が広い。いちおうクラシックの曲もやるにはやる。ただし、チャイコフスキー、ガーシュウィン、ラヴェルなど、19世紀後半以降の音楽家のものばかりだ。そしてそれらより採用率が高いのは映画音楽とクラシカルなポップスである。ジブリ映画からは久石譲、ディズニーからはアラン・メンケン。ビートルズやカーペンターズはエレクトーンのレッスンで知った。
 そして、ジャズのスタンダードナンバーも多い。それはおそらくヤマハの音楽教室の級制度が関係しているのではないかとわたしは睨んでいる。たとえば、3、4歳て始めた子どもが中学一年生くらいで受験する級では、

・CD音源が流されるので耳コピで弾く
・楽譜にメロディだけが書かれており、それに1分ほど目を通したら和音をつけて弾く
・楽譜を初見で「ハイ弾いて」と言われて、弾く。弾いたら次、和音にアレンジを入れて弾く
 あたりのことが要求される。いわゆるセッションの技術が必要となり、自然とその練習のためにジャズを弾くことになる。

 あと記憶にあるのはラテン音楽だろうか。タンゴやマンボなどのダンスに使われるものをよく気がするのだが、真偽のほどは分からない。

🎼

 わたしは子供のころからとにかく努力のできない人間で、教室に通う子供たちの中で断トツに練習量が少ない自覚があった。中学に上がるまではグループレッスンだったのでお目こぼしも多かったが、それ以降、個人レッスンに切り替わってもちっとも練習をせず、先生に嫌味を言われることもあった。それくらい練習しなかった。そのくせ通い続けたのはちょっとした理由があるのだが、それは音楽とは無関係なので今回は言及しない。
 とかく、わたしはそういう風に音楽を聴き、弾きながら育った。わたしにとって音楽は第一に音色であり、リズムであり、旋律であった。

 そのおかげで、わたしはクラシックもジャズも劇伴音楽も、歌詞の全く分からない外国の曲も何でも楽しく聴くことができる。ただし、それらを味わう能力と引き換えに歌詞を聞く能力を失った。どれぐらい聞いてないかと言うと、

・鼻歌で歌い切れる歌がひとつもない
・好んで聞き、かつ大ヒットした曲でもワンフレーズ程度しか分からない(例 星野源「恋」 夫婦をこえてゆけ の部分しか思い出せない)
・恋愛の歌を平気で親子愛の歌と取り違える(例 スピッツ「ロビンソン」)
というレベルだ。

 ちなみにわたしの母も能力喪失者で「私に歌詞を聞かせたいなら、さだまさしレベルの歌詞をもってこい」と豪語している。彼女は四十年来のアル中(THE ALFEEのファンの意)でもあるが、最初から最後まで諳んじているアルフィーの歌は一曲もない。
 ちなみに、わたしがピアノではなくエレクトーンを習ったのは、母が四歳からエレクトーンを習っており、自宅に1970年代もののエレクトーンがあったからである。ただし母自身は本当はピアノが習いたかったそうで、コードや音色にはあまり興味がなく、とにかくグッドなメロディーを好む。松任谷由実とか槇原敬之とか。

 家庭ではそんな環境で、では外ではどうだったかというと、多くの人が音楽——ポップミュージックに最も親しむだろう中高生の頃、わたしが音楽の話をする相手は、ほとんど能力喪失者だった。幼少期からバイオリン/フルート/ピアノを習っている、バンド音楽が好きで軽音楽器を弾いているというような女子中高生たち。特に一年ほど組んでいたバンドのメンバーとは、音の話ばかりしていた。
 だからわたしはよくわかっていなかったし、実を言うとまだ真に理解していない気がする。

「音楽が産業として成り立ってるのは、歌詞と、メロディしか聴いてない人間のおかげだからね」

 つい先日、弟から言われた言葉である。弟もエレクトーンを習っていた。が、三年ほどで音を上げて辞めている。今はKing Gnuと米津玄師を好んで聴くようだ。彼は4、5年ほど前に「今までギターとベースの区別がつかなかったけれど、最近分かるようになった」と言い、わたしを盛大にドン引かせた。

 ドン引いてるわたしの方が少数派で、弟のような人の方が多いことは理解している。とはいえ、わたしにとっては、音楽について述べる時に第一に歌詞に言及するというのはいまいち解せない。音を聴け音を。言葉を味わいたいなら、詩や短歌や俳句や川柳を読め。そう常々思っている。

 断っておくが、これはけっして音楽理論を理解しろ! というスノビズム的態度によるものではない。
 用語がわからなくても、音を聴くことはできる。そう言いたいのだ。

 エレクトーンの練習をサボりまくっていたわたしは、本来15年エレクトーンをやっていた人間が身に付けているレベルの、コード進行の決まり事などの知識がほとんどない。
 耳コピが下手すぎて、エレクトーンの進級が危ぶまれるほどに音感を欠いているし、バンドのスタジオ練習のとき遊びでドラムを叩けば、8ビート(ドンドンタッツ、ドンドンタッツのリズム)のテンポが8小節ほどで明らかにガタつくほどにリズム感も悪い。つまり、わたしは音を語るための言葉や理論、技術をほとんど持っていないのだ。
 それでも好きな音色、フレーズはある。高らかなドラムのハイハット、胸を締め付けるギターのアルペジオ、うっとりするようなベースソロ、DTMでしか出せない無茶苦茶な音色。

 そうったものは実は、これを読んでいるあなたにもあるのではないか? わたしはそう思っている。

 音楽家は日々、メロディーについて、コードについて、曲の構成について死ぬほど考えている。たとえば、言葉による創作をしているあなたと同じように。
 もし、気が向いたら自分が大好きな曲をかけて、歌詞とメロディー以外の部分に耳をすませてみてほしい。ベースとギターの区別がつかなくても全然いい。(そんなことをあげつらう人間の相手をしてはいけない)
 身体を動かしたくなるリズム、目を閉じて味わいたくなる間奏、なんだかわからないけど惹かれる不思議な音。ひょっとしたら、あなたはその曲をもっと好きになれるかもしれない。独断と偏見にもとづいて、わたしはそれを予言する。