名古屋SFアンソロジー寄稿作に寄せた、何か


ハリのあった制服
いつの間にかシワだらけの夏
いちばん好きな中間服
重いセーラーに変わる頃
あの子は学校に来なくなる

泉まくら「Mary.」

ご縁があって同人誌『名古屋SFアンソロジー』に寄稿をした。作者解題として、書き始めるまでの話と、何が原動力だったのかをつらつら書いてみた。

『名古屋SFアンソロジー』収録作のネタバレなし感想&レコメンド記事はこちら。

このアンソロジーの募集規定は「名古屋在住、在学、在職または出身の方。もしくは名古屋にゆかりのある方。ただし、名古屋の範囲は各人の定義によるものとします。」だった。縁。ゆかり。美味しいよね。

注)ゆかりというえびせんべいは名古屋の銘菓のひとつ。おいしい。

学生時代に地理学を専攻していたので、地域区分とか都市圏とか都市イメージには一家言ある。が、それは一度脇において自分と「名古屋」のゆかりを考えてみる。

・母の実家が名古屋市
・曽祖父が名古屋の某がいし企業の立ち上げ人
・名古屋市内の中高一貫女子校に通っていた
・名古屋大学で修士号(環境学)を取った

オーライ。というわけで構造を練り始めた。募集のお題は「名古屋発」もしくは「50年後の名古屋」だった。

最初に書こうと考えていたものは寄稿作とまったく違っていた。世界のTOYOTAに先駆けて戦前にある特殊な陶磁器製品によって世界にNAGOYAの名前が轟いていたが、それはオーパーツだったため歴史から抹消された……みたいな歴史改変SF。鍵となる陶磁器製品の詳細を詰められなかったので早々にボツにした。冷静に考えると、オーパーツと歴史の塩梅を一万字でコントロールするのは少なくともわたしにとっては難事なのでやめて正解だったと思う。

そのあと小倉マーガリンパンを通じて名古屋が世界征服する、いわゆるバカSFも考えた。が、この手の作品は芸風的にもっと上手い人が絶対いると思ったのでボツ。
どんどんいく。アイデアは出る時は出るし出ない時は出ないのだ。そうだ、母校の女子校は愛知県下で最初に洋服を制服にした。名古屋発ということで使えるだろうか。うーん。微妙だ。パンチが足りない。

そうだ、名古屋の三大お嬢様学校SSKとして母校とともにひとくくりにされがちな金城学院中高は、確か全国で初めてセーラー服を制服にした学校ではなかったか。記憶を頼りにネット検索する。ビンゴ。これなら書けると思った。そう思った時、頭に過ったのは金城学院中高の制服ではなく、母校の制服だった。 紺青のセーラーにひだスカート、水色あるいは浅葱色のスカーフ、短い白の靴下にローファー。

ダサい、と嫌悪感を示す生徒も少なくなかったけれどわたしは母校の制服が嫌いではなかった。というか、一種の誇らしさを入学したての頃は持っていた。

「あんたがいると店員さんの態度がやっぱり違うね」

いつかの授業参観の日、名駅の百貨店で母と落ち合って買い物をした後のことだった。母はそう苦笑いした。
わたしの授業参観で浮かないようにと新しく買ったCOACHのハンドバッグが全身のコーディネートと微妙にマッチしていない、薄化粧の地味なわたしの母に百貨店の店員は時間も愛想も使わない。けれど、SSKの一角を占める学校のセーラー服を着たわたしを伴っていれば話は違う。母は物を売る人間にとって相手をする価値のある人間になる。

 その仕組みに気づいた13歳のわたしはほのかな優越感を抱いた。わたし(たち)は選ばれている!

けれど、その感覚は年を経るごとに変わっていった。
修学旅行のバスで沖縄戦の経験者が同乗しているのに米軍基地にはしゃぐクラスメイト——『イケメン外人いるかな?』/体育祭の後に自腹を切ってアイスを差し入れた担任への文句——『なんでハーゲンダッツじゃないの?』/私立高校から系列大学に内部進学した教師への痛罵——『受験したことねぇのに偉そうに』――

もちろんこれは未熟な十代の子どもたちのタワゴトだ。三十歳の区切りで集まった高Ⅲクラスの面々は、あの頃を懐かしみつつもかつての自分、あるいは同級生の行いに苦言を口にする場面もあった。もちろん、そういうメンツだと分かっているからこそわたしはクラス会に行った、つまり人に恵まれる運の良さがあっただけとも言える。

 運。

 たまたま頭が少し良く生まれて、激務を耐え抜ける父親がいて、家計を管理できる母親が家にいつもいて、その両親の理解があって、努力が足りなくて県内の上位校に落ちたから、わたしは「SSK」の一角を占める学校のセーラー服を着ている。

高校も終わりに差し掛かったころに、優越感は自分の運の良さと怠惰さへの居心地の悪さへと変わった。中学二年生の時の不登校の経験もそれに拍車をかけた。詳しくは書かないが、わたしはいわゆる発達障害者であり、年齢的に幼少期から適切な養育を受けることが叶わなかった。それゆえにクラスメイトのほんの一部からではあるが、陰湿な加害的言動を受けたせいだった。

なんで自分だけこんな目に遭ったんだろう、という思考でいっぱいの視界に「親が不登校を認めて学費を支払い続けてくれること」「クラスの違う友達が時折メールで連絡をくれること」「学校を休んでも勉強に苦労しないこと」の当たり前でなさ・・・・・・・は徐々に割り込んできた。

わたしは運がいい。だから、ごく近しい人間関係に恵まれ、金銭に不自由せず、怠惰なのに高校卒業程度の学習にはほぼ困らない。そのことがずっと不快だった。

でも、それを変える社会的地位も、圧倒的な高所得も、人間的スキルも、わたしにはない。できるのは些細な寄付や署名活動だけ。それだけ。……本当に?
紺青のセーラー服に向けられているのは、無垢で無知な憧れと、性的欲望と、資本力を推測するための品定めの視線だけ。……本当にそれだけ?

たぶん、そういう気持ちをひとつひとつ織り込んでいくことで書き上がったのが「セーラー服の白線が伸びる先に」という作品だ。

テーマはひとつ。
セーラー服は自立と自由の象徴であり、これからもそうあり続ける、はず。

わたしは、多くの人よりほんのわずかに適正があるであろう「小説を書く」という行為でそれを自分が信じることができるか確かめたかった。太平洋戦争下という、もっとも恵まれていない近代の世代の異なる女学生ふたりを通じて。

書き終えて浮かんだのは「よかった」という素直な気持ちだった。これでほんの少しだけ自分が果たすべき責任を形にすることができた、気がする。たぶん自己満足だけれど。

それでも、この作品を読んでくれた人が、制服を着ている間の息苦しさを忘れないまま、それでも正しさや自由を未来に繋ぎたいと思ってくれたら、と夢見るくらいはしてもいいのでは、と今は思っている。

エンディングテーマ:泉まくら『Mary.』Pro.by ESME MORI